ついつい見落としがちな、重大な事がある。
それは、
『丁度いいとこで、愉しくなっちゃう』事だ。
なんだ、そんなことか、と言われるかもしれない。
でも、日常は、そうならないように抑えられてるし、
その延長、もしくは反対としての非日常も、
これではない。
つまり、これは、日常でも非日常でもないことだ。
じゃあ何?
何って言えない。
でも、
その人最強である。
分かる分からんのとこではない。
丁度いいとこって、違和感がないとこだ。
ところが、違和感が自分が在る感なので、
違和感無いってことは、自分が無いって事だ。
そんな状態にはない。
また、周りの圧力も、
ちゃんとしろって圧力だ。
ちゃんとしないで愉しくしてたら、
俺達苦しいんだから、
お前も苦しめよとの同調圧力がかけられる。
分かる分からんのところからは、
自分が無いからこそ、
在り在りと在れる事が分からない。
その人そのものであるのを、
否定し合っているのが常識だ。
様々な指導、教育も、
その人そのものでなくなるようにしている。
そんなのにやられずに、
いつでも、どこでも、誰とでも、
その人そのもので、愉しくなっちゃうのが、
本当の修行なのだ。
何かに楽しくしてもらうのとは違う。
その人そのもので在る事自体が、
ついつい愉しくなっちゃうのだ。
そんな修行なら、ず~っとしてたいのだ。
そうさせない、外から来る悪意、
内発的悪意に注意が必要だ。
それらは、善意の てい でやって来る。
正しい事を教えると言う形をとってたり、
より良く、っていう向上心だったりする。
そんな全てを笑い飛ばす、
『丁度いいとこで、愉しくなっちゃう』は、
本当の攻めで、
それを出来なくする 守ること なき守りだ。
ほんと丁度いいとこで、
上でも、下でも、それの否定になってしまう。
他人のことは、何か判っても、
自分では針の穴のように、狭き門にも見えよう。
全く見当もつかなかったりする。
正しい感覚で、正解を探しても、
自らを欺く、芝居を始めただけ。
違和感ない方へ、止めてく。
どうすれば?って、
甚だ外れた問いだ。
既にしていることを止めてく。
していると感じてないのも含めて。
すごいことには思えないだろうが、
あらゆる事の解決は、
その人そのもので在ることと、
それを自覚してることにしかないのだ。
次回の、ギターに例えるシリーズに続く、、、
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