年末の予告通り、書いていきたいと思う。
ホントは、これより前段階の事で、
書くのを控えた事とかも、書かないといけないのか?
とも思ったが、順番が前後してもまあいいか!ということで、
今回は、 大脳界 だ。
当人となることで、繋がる世界だ。
逆に言うと、当人でないことで、
繋がりを遮断していると言うことだ。
僕が非常に当人押しをしたのも、
あまりに残念と言うか、勿体な過ぎるんだよね。
全く、人生の意味が違ってしまうのだ。
我々は、大脳内小脳なのだ。
そして、所謂我々の個人的な大脳は、
小脳内小脳なのだ。
この事を分かる為の小脳なのだ。
ただ、これは、実感から来る理解ではない。
地動説のように、知っておくだけだ。
実感でいくと、未だに人間は天動説だ。
包括されてる事実を、包括的に理解してる、
メタ理解だ。
つまり、大脳が大脳を自覚してる事を、
個人の大脳も分け持っている。
大脳が考えてくれる。
大脳が主体だ。
また、力感の全く無い力だ。
自前で頑張る必要もない。
知識と力に分けられた、
すり替えられた、薄められたものでない。
以前、僕は情報と言ったが、
事実上の 神 が来るのだ。
在り方で、受け取れる情報が違うのだ。
当人で繋がる大脳界の情報は
神 そのものなのだ。
現状に反動した、概念の神ではない。
この神の使い手である大脳の名を、
識 と言う。
これについては、次回にでも詳しく話すが、
識 が自己であり、
識 に従うのが 順 だ、 純 だ。
識 のままに が、在るがままで、
自己表現である。
本来、そう然るように出来とるし、
生きる とは、この事だ。
当人として、 識 に生かされる。
識 の表現が、神を通して為される。
皆のしている 生きる は、
当人でなくなる事だ。
当人として生きることが、
当人でなくなる事だ。
識 として生きる事が、
業なく、当人として、
光輝ある、彩りを放つ。
絵の具の色が混ざるから
この世がグレーにしかならない。
光は重なれば、透明になる。
空 にしかならない。
人間が想定しうる限界が、神だが、
安易な神になびかず、
本質を探求した、有名無名問わぬ、
いにしえの賢者達の見いだした、 沈黙 が、
識 だ。
見えない、感じれない、掴めない、分からない、
絶対自由、絶対秩序。
永遠の哲学。
神が来たるべく、部屋を空けとく、
間違ってはいない。
しかし、それを求めるのも違う。
求める者は当人ではない。
何かを得るためでなく、
当人の為、当人でないと。
世界がどうであれ、周りがどうであれ。
当人でなくば、 神 と違う情報がぶつかってくるだけだ。
ぶつかってくるものと同等なのだ。
批判してる世界と同等なのだ。
欲の結果でもない。
当然の生き方なだけだなのだ。
所有したり、奪い合う必要もない。
そう出来てるだけなのだ。
まさしく、 識 の下、
平等なのだ。
識 については、次回以降でも、
色々話すことがある。
ご期待願いたい。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
☆「いいね!」や「ツイートする」ボタンより是非コメントやご感想をお願い致します☆
*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
筋整流法 池袋道場
http://tokyo.kenbiki.jp/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
住所:東京都豊島区東池袋3-9-13 SYビル202号
TEL:03-5954-6290
----------------------------------------
Facebook:
https://goo.gl/WMHFDY
Twitter:
http://goo.gl/uAoXv3
mixi:
http://goo.gl/2Iz2pZ
アメブロ:
http://goo.gl/DTFVXL
*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆