どプラス界は、表現界だ。
いわゆる表現だけが、表現な訳ではない。
日々の人間生活、丸々芝居のようなものなのだ。
よく、人生はゲーム、ゲームを遊べた奴が勝つ、
何て言うのも、まんざら嘘でもない。
どプラス界の事だけで言うなら、その通りだ。
ゲーム、芝居以上を求めるなら、話は変わってくるが、
しかし、大方は、人生、変に真面目になって、損してる。
大いに遊んでいる人が成功し、
そういう人に、代わりに遊んでもらうというか、
そうでない人が支えてる。
このどプラス界から、抜け出ること無く真面目になっても、
それも一つの芝居であって、思い込みの表現である。
エゴイズムなのだ。
自分を守っている という表現だ。
結局は、当人の納得、気の済むようにするしかないのだが、
この 気 、僕の最近書いてきた 気 ではないことは、
お分かりだろう。
実際、芝居作りをみると、芝居は、非日常空間とか言うが、
日常以上に日常だ。
日常していることを更に強調している。
日常以上に未来が決まっている。
まだ、日常の方が、ゆるい。
未来にすることを、過去に依って予め決め、
それをするのが現在という事。
それがまた、日常、日常的にしている事なのに、、、
社会派の真面目な芝居、小説、映画など、
これまた損している。
そういうのがつまんないということもあるが、
社会派の芝居は、社会に起こっている事から、
つまりは、どプラス界という、表現界に表現された事から、
表現するという事になる。
どこまでも囲いの中だ。
僕のいうところのエネルギーがない。
どうも、熱意とか思いとかと混同されがちだが、
このエネルギーがなくば、表現の意味はなく、
在るならば、表現する意味の方が無くなる、
そういうものだ。
表現する快楽、苦痛とも無縁だ。
これが無いから、表現しているともいえる。
表現の表現の表現みたいなもんだらけ。
そんな中、芸術の真価が問われる。
つまりは、エネルギーが、事実在って、
そのままの表現なこと。
エネルギー界から表現界への息の吹き込みとでもいうか。
エネルギー界が在るよ!って表現だ。
エネルギーがまま は、神業だ。
エネルギー界は、人生でなく、神生とも言える。
そっちの方が真面目だよね。
いわゆる真面目にしてては、デタラメより遠い。
エネルギーで在る事自体、芸術超えだよ。
今日は、芭蕉の俳句超え、芸術超えについて、
書くつもりだったんだけど、
次回かな。
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