タイトルは、語呂合わせか、ダジャレかと思いきや、
まさしく、玉の思意は 魂 なのだ。
しかし、体の世界の人の想像するところの魂ではない。
魂とか言うと、お墓とかでの火の玉とか、
オドロオドロしく思ったり、
御霊なんてことで、丁重に祀られてたり、
ロック魂とか、ソウルミュージックのソウルとかが浮かんでくる。
もしくは、身体に乗り移る霊魂とかね。
だけども、実際の玉の意識としては、
全くそんなもんではなく、朗かなもんだ。
まるまるのまるまるの存在が 魂だから。
存在を潰しておらず、苦を負わない。
働きを止めておらず、頑張る、力む、必要もない。
いわゆる意識はお休み中で、自分から無事だ。
普通は、思いのままに生きたいだろうし、
そうしてる、もしくはそう出来ないでいる。
また、よく耳にするのが在るがままだ。
僕はこのblogでは、体がまま、0がまま、を推奨した。
玉の世界としては、魂がまま ということになる。
でも、ここでは のまま が要らなくなる。
魂自体が働きであり、存在であり、意識だから。
魂が働くのではなく、魂という働きだ。
その働きが、魂という存在なのだ。
普通の意味での魂が無いからこそ、魂が在るのだ。
御霊として大事にとっておくもんでもなく、
働きまくりなのだ。
たまし~~~~~~~~~~~~~~~~いってだけ。
意識ということについても、感じ方が変わる。
石とか、草木とかにも、それを成り立たす意識があるのが分かる。
人間の様な意識がないからと言って、無いというのではなく、
人間の意識が異常なのだ。
いかに守ることしかしていないか?は、
玉になってみて思うこと。
攻めてると思っていることも、守りの中の事。
玉が本来の存在なのだから、
玉でなくなる事は、
守りに入ったってこと。
自己の形成自体が、まるまる、守備固めで、
攻めれなくすることだ。
誰も本当の攻めを知らない。
玉の意識は、平和そのものだ。
誰も平和を望んでないことも分かってしまうが。
にもかかわらず、皆、今、この瞬間にも
玉なのだ。
本来の存在でないことなどない。
本来とは、いつか、どこかで、誰かのお陰で、
なるものではないということでもある。
もとよりそうだってことなんだから。
事実、していることは玉でなくなる事ばかり。
それを知ったら、玉になることも含め、
玉でなくなる事を オフ れるか?
本来の能力は本来の存在でなくば、発揮しようもない。
別の努力をしてしまっていることは明らかだ。
相手を玉として扱えるのは、
玉で在る人だけだ。
現実的に、玉でない人だって、
本来のまま関わるわけで、
ほんとの意味で、尊重することだ。
本来の意味と玉の意味を知っているからだ。
しょうもない誉め合いとは違って、
下げ合いのない世界だ。
望むか?望まないか?は
本人次第。
いや、本来の存在 玉 次第。
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