世間的にも脱力の大事さは言われている。
力むな、力を抜け❗と。
力むにも、力めるシステムが在っての事で、
その全体のシステムを省くのが、『抜き』であって、
だから僕は以前から、
力を抜くのではなく、
力を脱ぐと言ってきた。
脱力の文字通り、脱ぐだ。
脱いでみないと、着ていた事も判らないが、
脱げてみると、その差違に気付ける。
これに比べると、いつもは、
重い、鈍い感じがする。
そうすると、自分の中から、
脱力しなきゃとかではなく、
力を着ない❗って自戒が出てくる。
他人に力を抜け!と言われても、
力を着たまま抜いた気になるだけだ。
でだ、この先として、
力が抜けてくると、ユラぎだす。
固まってるより、ゆらいでる方がいいのだが、
このユラいでいること自体が、
固める原因なのだ。
不安定で、常時働き続けてることになるので、
脳が休めないし、
嫌がるのだ。
そして、安定しない土台の上では、
人間的な活動は出来ない。
つまりは、精神活動と肉体運動が、
出来ない。
ユラいでいるままでこそ出来ることは封印して、
固めて、安定させた上での、
人間的な思考と運動を選んだわけだ。
発達とも言えるかもしれないが、
サボりでもある。
思考、運動は全て労働とも言える。
それゆえの症状もある。
禅の修業など、この思考と運動を止めることだ。
ユラいでいる度も、固まっている度も、
結局、ゆらいでるベースの次元で、
同じ地平での誤魔化しであって、
次は、脱ユルということになる。
そして、ゆらぐ次元を脱いで、
ユラが無くなって、
固まる方と全く違って、
ユルギナクなって、
ユル着ない❗って自戒が生まれればいい。
ユラぐという固める原因も無いのだから、
固める理由もない。
まさに原因の解消であって、
原因を土台にしたマヒではない。
ただ、そうは言っても、
誤魔化す方が人間らしいだろうな。
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