腰痛は、人間の宿命のように言われる。
二足歩行になった為に避けられなくなったものと、、、
腰痛抱えた人が多い現実からして、
その通り、正しいとも思える。
しかし、ホントにそうなのか?
何が起こっているか?を観てくと、
重力に対応して腰を作っている。
ここが、一見正しい様で、
問題なとこだ。
対応とは、どこまでも、対する物以後だ。
永久に遅れている。
つまりは、重力の様子を伺ってから、
こんな感じかな?って応じているのだ。
一般的には、足腰で支える訳だが、
支えると言うと、聞こえはいいが、
どこで潰すか?って事だ。
人によっては、膝が腰だったり、
背中、首、足首が腰だったり、
何ヵ所かで支えてたりする。
よって潰す可能性があるのも必然だ。
人の体を観れば、
かつては、ここが腰だったといった形跡がある。
痛めたけど、治りもせず、
別のとこが腰になっただけだ。
腰痛をした経験から、
その恐怖で、いわゆる腰を避ける。
守りだしている。
そんなことが、無意識の中でも為されていて、
自分がした気がないのが厄介でもある。
重力に対応しているってのも、
している気がない。
とっくの昔にしたことで 、覚えてもないだろうけど、
それが今、この瞬間にも大きな問題となっているのだ。
様子を伺うってのは、伺う準備をしてる。
その準備が、日常のクセで、
その人なりの、勘違いの脱力だ。
それでもって、重力に対応する。
対応とは、抵抗で、重力に勝とうとすることだ。
勝つために無意識で策を練ったのだ。
無理があると思うが、、、
そもそも、対応によって、腰痛があるのだ。
腰を作ったからなのだ。
動物に腰は無い。
脚はまさに抵抗で、下から土台として支えることで、
上半身の重さが腰にかかる。
上半身を脱力するほど、
腰に重い漬けもの石が載っかる。
脚は充実するかもしれないが、
自己負担増しだ。
そこで、対応は諦めて、
重力に即すると、
重力が通る。
対するか?即するか?で全く違う道だ。
簡単に、即せるか?は、
対応して作り上げたもんに頼らずに、
無くしていく事が必要だろう。
ただ、今日、ホントに言いたいのは、
重力に、対応でも、即すでもない。
対応とか、合わすとか、即すとか以前に、
とっとと、俺だ〰❕って在れば、
重力も関係ない。
から、対応も、即すも要らない。
ただ、その、俺だ〰❕がわからなくて、
みんな困るだろう。
でも、ここに焦点を合わさんことには、
問題は継続中だ。
重力への対応等により、
後天的に作られた、積み上げた、
刻まれた自分が、自分という事になってるしね。
対する事自体が、遅いし、
それでもって更に応じるなんて、
どうにも遅い。
これは、事務手続きのようにしててはダメなのだ。
過去の事ではない。
能力発揮、健康面、周りとの関係、
全てに於いて、
俺だ〰❕に始まり、
俺だ〰❕に終わっている。
その人そのものが解決だ。
それ以外が問題だ。
その人そのものでないと、
問題は積み上がっていく。
それが罪なのだろう。
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